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2018年10月15日 (月)

『孟子』巻第九萬章章句上 百三十一節

                         百三十一節
弟子の萬章が尋ねた。
「あの賢者で知られる百里奚は、羊の皮五枚で秦の犠牲を養っている者に、自ら身売りし、牛の世話をしながら秦の繆公に用いられる機会を窺っていた、と言う人がいますが、本当でございますか。」
孟子は答えた。
「いや、それは違う。物好きな人間が言ったことだ。百里奚は虞の人である。晉がを伐つために、垂棘の地で採れた美玉と屈で産した名馬とを贈り物にして、虞の国内の通過を求めてきた。宮之奇は晉の野望を見抜いて主君を諫めたが、百里奚は諫めなかった。それは諫めても主君が聞き入れないことを知っていたからである。そこで虞を去って秦に行ったが、その時既に七十歳だった。それほどの年になって、牛を養いながら仕官を求めることの醜ささを知らないとすれば、智者とは言えない。諫めても無駄だと知って諫めないのは、不智と言えようか。虞公がやがて亡びることを知って、先だってそこを去ったのは、不智と言えようか。秦に用いられ、秦の繆公が共に事を為すに足る人物であると見抜いて、その宰相になったのは、不智と言えようか。秦の宰相となって、その主君の名を天下に顕現し、後世にまで伝えることが出来たのは、愚者にできる事だろうか。自ら身売りしてまで主君を成功させることは、村里の名声欲に駆られた人間でも為さないことだ。それなのに百里奚のような賢者がそのような事をすると言うのか。」
萬章問曰、或曰、百里奚自鬻於秦養牲者五羊之皮、食牛、以要秦繆公。信乎。孟子曰、否、不然。好事者為之也。百里奚虞人也。晉人以垂棘之璧與屈之乘、假道於虞以伐。宮之奇諫、百里奚不諫。知虞公之不可諫而去、之秦。年已七十矣。曾不知以食牛干秦穆公之為也、可謂智乎。不可諫而不諫、可謂不智乎。知虞公之將亡而先去之、不可謂不智也。時舉於秦、知穆公之可與有行也而相之、可謂不智乎。相秦而顯其君於天下、可傳於後世、不賢而能之乎。自鬻以成其君、黨自好者不為。而謂賢者為之乎。
萬章問いて曰く、「或ひと曰く、『百里奚は自ら秦の牲を養う者に五羊の皮に鬻ぎ、牛を食いて、以て秦の繆公に要む』と。信なるか。」孟子曰く、「否、然らず。事を好む者は之を為すなり。百里奚は虞の人なり。晉人、垂棘の璧と屈の乘とを以て、道を虞に假りて以てを伐たんとす。宮之奇諫めて、百里奚諫めず。知虞公の諫む可からざるを知りて去り、秦に之く。年已に七十なり。曾ち牛を食うを以て、秦の穆公に干むるの為るを知らざるや、智と謂う可けんや。諫む可からずして諫めざるや、不智と謂う可けんや。虞公の將に亡びんとするを知りて先づ之を去るや、不智と謂う可けんや。時に秦に舉げられ、繆公の與に行う有る可きを知るや、之に相たるは、不智と謂う可けんや。秦に相として其の君を天下に顯わし、後世に傳う可きは、不賢にして之を能くせんや。自ら鬻ぎて以て其の君を成すは、黨の自ら好する者も為さず。而るを賢者にして之を為すと謂わんや。」
<語釈>
○「百里奚」、虞の国の賢人で、後秦の繆公に仕えた賢者。○「自好者」、趙注:自ら好名を喜ぶ者は、尚ほ為すを肯ぜず。名声を得ることに喜びを感じている人のこと。
<解説>
百里奚は虞の賢人で、秦の繆公に仕え、繆公をして覇王と為さしめた名臣として有名な人物である。秦に仕えるまでの話は『史記』秦本紀に、「五年(繆公の五年、前655年)、晋の獻公、虞・を滅ぼし、虞君と其の大夫百里とを虜にす。璧と馬を以て虞に賂いし故なり。既に百里を虜にし、以て繆公の夫人の為に秦に(ヨウ、諸侯に嫁ぐ女に付き従って世話をするもの)たらしむ。百里、秦を亡げて、宛に走る。楚の鄙人、之を執らう。繆公、百里の賢なるを聞き、重く之を贖わんと欲す。楚人の與えざるを恐れ、乃ち人をして楚に謂わしめて曰く、「吾の臣百里は焉れに在り。請う、五(コ、黒い羊)羊の皮を以て之を贖わん。」楚人、遂に許し、之に與う。是の時に當りて、百里、年已に七十余歳。」とある。

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